エースストライカーとして第一線での活躍を続ける大久保嘉人 選手
サッカー日本代表として活躍していた姿も記憶に新しい、大久保嘉人 選手。

過去にはスペインやドイツのリーグでプレーしたり、2010年の南アフリカW杯、2014年のブラジルW杯にも出場するなど、長年日本サッカー界を牽引する存在として活躍を続けていますよね。
12回目の結婚記念日に舞い降りた奇跡
12月1日、奥様との12回目となる結婚記念日を祝ったことを、ブログとインスタで報告した大久保選手。
その中で、なんと奥様が第4子を妊娠中であるということも併せて報告しました。

妻のお腹に新しい命を授かりました。
あの三兄弟に加えさらに宝物が増えます。こうして、幸せな報告ができるのも皆様にたくさん励ましていただいたり、助けてもらったおかげだと感謝です。
ありがとうございます!
これからも家族仲良く頑張ります。
現在、11歳、6歳、4歳という3人の男の子のパパである大久保選手。子煩悩で家族思いなパパとしての姿はすっかり有名ですよね。
さらに、もうすぐ4児のパパとなるという、思わぬハッピーサプライズを受けたファンからは、
「おめでとうございます!こちらも幸せな気持ちになります」
「すごく嬉しいです♩おめでとうございます」
「おめでとうございます!ステキなご夫婦、いつまでもお幸せに!」
など、多くの祝福のメッセージが嵐のように寄せられました!!
流産、抗がん剤治療を乗り越えて授かった生命
実は昨年の夏に、待望の赤ちゃんを授かるも流産、さらに胞状奇胎であったことを明かしていた大久保選手。
胞状奇胎とは、昔は『ぶどう子』ともよばれた疾患で、妊娠した子宮内にぶどうの房のような外観の“つぶつぶ”が多数存在する病気です。我が国においては約500妊娠に1回、300分娩に1回の割合で発生するといわれています。
さらに奥様の場合、手術で奇胎を取り除くも、「hCG」というホルモン値の改善が見られず、腫瘍性病変(がん化)する可能性があったことから、抗がん剤治療を受けることになったということも明かしていました。
抗がん剤治療ということで、髪の毛が抜ける可能性を知らされたという大久保選手。
「入院や治療の不安を少しでも和らげてあげたい」と、自身と息子たちの頭を丸刈りにしたことを報告していました。

「今年の夏、妻が流産してしまい、胞状奇胎だったということがわかりました。手術もしましたが、術後の経過が順調じゃなく入院しての治療が必要になりました。
奇胎後hcg存続症というみたいですが、この病気には抗ガン剤治療が必要みたいです。抗ガン剤の副作用で髪が抜けるかもしれないと聞き、そうなると妻がショックを受けると思いました。これからの入院や治療への不安を少しでも和らげれたらなぁと思い、子ども達と相談して坊主にしてみました。
仮に副作用が軽く済んで、元々髪の多い妻が脱毛を気にしないで済むかもしれないけど、我が家のやんちゃ坊主の笑顔がとってもよく見えるし、何よりサッパリしましたー‼︎そんなこんなで、みんなで乗り越えて冬にはもっと笑顔でいたいとおもいます!」
妻思いな素敵すぎるこの行動は、大きな話題となりましたよね。
家族から受けた大きな愛こそが、治療に臨む奥様の大きな心の支えとなっていたことと思います。
昨年の結婚記念日には抗がん剤治療が終了したことを報告
ちょうど1年前、昨年の結婚記念日には、奥様の抗がん剤治療が無事終了したことを報告していた大久保選手。

「今日は結婚11周年記念日に加えて、ダブル退院祝いでした。ご心配お掛けしましたオレの扁桃腺炎と、妻の抗ガン剤の治療が終了しての退院祝い。家族みんなで笑顔で迎えることができてハッピーだ‼︎」
奥様はこの後も、検査や検診のために通院を繰り返す日々だったそうです。
精神的にも、肉体的にも辛いことだったとは思いますが、それを乗り越えられたのは「新しい生命を授かりたい」という夫婦共通の思いがあったからこそだったと思われますね。
この日から1年を経て新たに宿った新しい生命は、二人の夫婦愛の結晶以外のなにものでもありませんね!
どん底にいた夫を奮い立たせた、妻の内助の功
2004年12月1日に、最愛の妻・莉瑛さんと結婚した大久保選手。
実は、奥様は大久保選手が才能を開花させるきっかけとなった長崎県の名門、国見中学時代の恩師の娘さんなのだそうです。
また、一時は年俸が1億円とも噂されたビックプレーヤーでありながら、大久保選手のお小遣いは月に3万円であると明かすなど、”鬼嫁”呼ばわりされてしまうことも多い奥様。
しかし実は、大久保選手のキャリアを左右していたかもしれない一大事を、その鬼嫁精神で立て直したという、スゴ過ぎる奥様だったんです!!

2010年の南アフリカW杯での活躍以降、ひどい「燃え尽き症候群」で走ることすらままならない状態に陥ってしまっていたという大久保選手。成績は落ち込み、怪我も相次いだといいます。
「あの時、俺は終わっていた」と振り返るほど、最悪なメンタルコンディションだったという当時。代表引退を相談すると、奥様からは「嘘やんね。ばかじゃないの!」と叱咤されたのだそうです。
しかし、大久保選手が弱い姿を見せるのは奥様の前でだけ。気が強い奥様だからこそ、大久保選手は安心して弱音を吐くことができるのだそうです。

引退を示唆した夫を叱咤するも、その後に長崎県・五島列島で極秘の静養期間を過ごさせたという奥様。
その甲斐もあってか、シーズン後に移籍した「川崎フロンターレ」では、生まれ変わったように輝くプレーを連発するようになり、2014年のブラジルW杯にも代表として選出されるまでに復活を遂げます。
奥様について「“あなたはサッカーだけ頑張ってね”っていう環境を整えてくれている」と話す大久保選手。
今現在、サッカー選手を続けているのは、奥様の内助の功に他ならないといいます。
入院中の妻に捧げた”得点王”
昨年には、Jリーグ史上初となる”3年連続得点王”に輝いたことも記憶に新しい大久保選手。実は、これだけ彼が頑張ってこれたのには、奥様の入院が影響していたようです…
「テレビを病院じゃ見られないんですけど。点を獲らないと携帯では名前が出ないじゃないですか、得点者・大久保嘉人って。それだけでも違うんで。点を獲って名前を残さないといけない。」

誰よりも夫の活躍を祈る奥様を安心させたいという思いが、この時期の大久保選手を奮い立たせる大きなきっかけになっていたようですね。
どんなピンチも、お互いに支え合うことでチャンスに変えてしまう二人の深い夫婦愛は、本当に素晴らしいですね。
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